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先人の足跡を踏みたどり、友好の初心に立ち返り、各界の友人に会い共に良い未来をおしはかる
薛剣総領事「晴れの国」岡山県を訪問
2022-08-05 08:47

  降水量が少ないため「晴れの国」と呼ばれている岡山県は、古くから西日本の文化の聖地であり、中国と深い絆で結ばれている。7世紀初頭、この土地に生まれた吉備真備は唐に2度入り、大唐文明を日本に持ち帰り、阿倍仲麻呂とともに最も有名な遣唐使と呼ばれている。近代以降、岡山と中国のかかわりが一層密接になり、両国の国交正常化に顕著な貢献をした岡崎嘉平太氏、中日文化交流の推進に大きな力を尽くした内山完造氏など中日友好の先駆者はみんな岡山県生まれである。中国の著名な文学者・思想家の郭沫若氏も、若い頃岡山県で生活し、勉強していた。

  「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れてはならない」。7月18日、薛剣総領事は、岡山を訪れ、中日友好の先駆者の足跡をたどり、岡山県選出の国会議員、岡山県市日中友好協会、岡山県華僑総会など各界の人々と友好交流を行った。

  一、水を飲むとき水源を思い、初心に立ち返る

  訪問の最初の場所として、薛剣総領事は吉備中央町にある岡崎嘉平太記念館を訪れ、山本雅則町長や岡山市日中友好協会関係者らとともに、杉原雅夫館長の案内と説明の下、見学した。

  杉原館長は次のように紹介した。戦後日中の国交が断絶していた頃、岡崎先生は、廖承志氏、高碕達之助氏らと日中覚書貿易を共同で開始し、両国の国交回復に顕著な貢献をした。吉備中央町は、岡崎先生の思想と功績を後世の人々に思い出させるためこの記念館を設立し、岡崎氏の関連遺品を約7,500点収蔵し、その生涯の足跡及び日中友好交流を推進した感動的な事績を全方位に展示している。

  薛剣総領事は次のように述べた。岡崎嘉平太先生は中日国交正常化に多大な貢献をしたため、周恩来総理から「中日友好の井戸を掘った人」と称賛され、中国人民に尊敬される古い友人である。中日国交正常化50周年にあたり、中日友好の先人たちが両国関係を発展させた初心と信念を振り返ることは、重要な意義がある。「信はたて糸、愛はよこ糸、織り成せ、人の世を美しく」という岡崎先生の人生の信条は、中日関係にも当てはまる。現在、中日関係は複雑かつ厳しい状況にあるが、我々は先人の遺志を継承・発揚し、初心を忘れず共に努力し、信頼と友愛をもって各種の困難を克服し、両国関係の改善と安定的な発展を促進すべきである。

  見学後、薛剣総領事は参加者と懇談した。山本町長は薛剣総領事の来訪に歓迎の意を表し、次のように述べた。岡崎先生と周恩来総理の深い友情により、吉備中央町は周恩来総理の故郷である淮安市淮安区と友好都市関係を結んでおり、様々な分野で多彩な交流と協力を行っている。一衣帯水で、長い交流の歴史を持つ隣国として、日中は良好な隣人関係を築くべきであり、築くことができる。今年は日中国交正常化50周年であり、吉備中央町はこれを契機に、民間交流、特に青少年交流を全力で展開し、双方の友好関係の強化に尽力したい。

  周総理と自身の共通の故郷である淮安について語ると、薛剣総領事は躊躇なく地図を手に取り、皆様に故郷の最新状況を紹介し始めた。中国は近年急速に発展しており、淮安も大きな変化を成し遂げた。日本の若者にはもっと中国を訪れ、積極的に中国の若者と交流を深め、客観的で立体的な真実の中国を知ってほしい。周恩来総理と岡崎先生の友情は、中日間の貴重な財産であり、中日交流の歴史において類似したたくさんの宝物があるので、我々はそれを一生懸命発掘し継承し発揚しなければならない。それをもって両国民が相互理解と信頼を推進し、中日関係の改善と発展のためにポジティブエネルギーを蓄積するべきである。

  二、膝を突き合わせて話し合い、共に友情を温める

  吉備中央町を離れて、薛剣総領事は岡山市へ向かい、岡山県選出の日本衆議院議員逢沢一郎氏と面会した。逢沢氏は何度も訪中した経験を喜んで振り返り、岡崎嘉平太、内山完造など日中友好の先駆者の対中交流の歴史は岡山県の誇りであると述べた。現在、日中両国は困難に直面しているが、経済・貿易分野で緊密な交流を続けていることは喜ばしい。日中の友好関係の維持は極めて重要であり、政治的努力と市民社会の積極的な取組も必要である。コロナ終息後、両国は友好都市間の相互訪問などの活動を積極的に実施し、より多くの市民が交流を通じて相互理解を深めることを期待していると語った。

  薛剣総領事は逢沢氏の総領事館に対する多大な支持に感謝し、次のように述べた。引っ越しできない隣人として、平和共存、友好協力、共に発展することが両国の唯一の正しい方向である。国交が回復してからの半世紀において、中日関係は多くの紆余曲折を経た。しかし、どんな時でも、双方は冷静さを保ち、大局から着目し、近隣の相互関係の在り方を探るべきである。現在の中日関係が困難に直面した原因の多くは、日本の国民が一面的なマスコミの情報によって誤解され、中国に対する認識が偏っているからである。より多くの日本人の友人が中国を訪れ、本当の中国を肌で感じ、中国に対して正しく認識するよう心から願っている。

  逢沢氏と別れた後、薛剣総領事は岡山市日中友好協会の土井章弘会長らと短い食事会を行った。薛剣総領事はまず岡山市日中友好協会の総領事館の活動に対する多大な支持に感謝し、次のように述べた。岡山と中国の交流は長い歴史を持ち、実り多い成果をあげた。特に、中日国交正常化以来の50年の過程にいては、岡山各界の有識者の知恵及び努力と不可分である。民間友好は中日関係の優れた伝統であり、貴重な財産である。岡山市日中友好協会が中国との友好交流を積極的に行ってきたため、今年日本政府から表彰を受けたことは喜ばしい。友好協会が自らの強みを発揮し、人的交流や民間・地域交流を幅広く展開し、両国民の相互理解の促進に寄与することを期待している。

  土井会長は、総領事館とともに日中国交正常化50周年を契機に、民間の友好活動を念密に企画し、友好都市「洛陽」との友好交流と協力を一層強化し、市民の心と心のつながりを一層促進し、日中関係の継続的な改善と発展を推進していきたいと述べた。

  三、互いに心で通じ合い、共に未来を創る

  訪問の最後の場所として、薛剣総領事は中国と絆が深い名勝旧跡――後楽園を訪れ、岡山県の日中友好団体、中国資本企業、華人華僑及び留学生など各界の友人と対面し交流した。

  後楽園は、日本の江戸時代に岡山藩主によって建てられた庭園で、名前は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」にちなんで名付けられた。かつてはタンチョウの楽園だったが、第二次世界大戦後タンチョウは一時途絶えた。当時中国科学院の郭沫若院長が岡山を訪れた際、このことを知り、五言絶句「遊岡山後楽園」を記し、後楽園に2羽のタンチョウを贈り、中日交流史の中の美談となった。

  後楽園事務所の石井謙次所長に案内されて、薛剣総領事は参加者と歩きながら話し、郭沫若詩碑、鶴舎、井田など中日友好を象徴する園内の代表的な見どころを見学した。

  薛剣総領事は、園内の中国周時代の田租法をモデルにした井田であれ、中日友好の信念を込めた鶴舎や記念詩碑であれ、どれも中日両国で切り離すことができない人的つながりと歴史的関係及び中国政府と国民が友好を回復・発展させたいという誠実な願望を反映していると語った。中日両国は一衣帯水で、長い交流の歴史を持っている。我々は、両国の友好交流の歴史を大切にし、先輩政治家が中日友好を堅持した政治的決定力、万難を排する政治的勇気と、小異を残して大同につく政治的知恵を心に刻み、手を携えて共に努力し、歴史と国民に対して責任をもつ態度で、共に新時代の中日関係の美しい未来を切り開き、両国と両国民に利益をもたらすと同時に、地域と世界の平和と安定と繁栄に貢献すべきである。

後楽園仍在 (後楽の園はなほあれど)

烏城不可尋 (烏城尋ぬ可からず)

願将丹頂鶴 (願わくは丹頂の鶴をもって)

作対立梅林 (作対して梅林に立たしめん)

  ——当時郭沫若先生が後楽園に贈った一対のタンチョウは、現在、数十羽の子孫を繁殖し、中日友好の象徴となっている。 我々は、両国の各界の共同の努力のもとで、中日間の友好の力が必ず日に日に増大し、伸び続け、中日友好の未来はきっと晴れ渡り、燦燦と輝くだろうと確信している。

 
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