トップページ > トピックス > 「私の好きな中国映画」作文コンクール
「私の好きな中国映画」作文コンクール三等賞佳作(一)
2022-10-01 22:08

【映画の中の風月同天】

四宮陽一


1.二つの日中合作映画

春節が始まり、北京五輪が開幕したばかりの最初の週にたまたま日中合作映画二本を見る機会に恵まれた。一つは日本を舞台にした中国人監督(鵬飛)による「再会の奈良」。もう一つは中国を舞台に日本人監督(日向寺太郎)がメガホンを取った「安魂」。この好対照を成す名画が、共に日中国交正常化50周年記念として上映された事にまずは拍手を送りたい。

更に驚く事がある。「再会の奈良」が、歴史に彩られた古都の山々を背景に、中国残留孤児の再会のドラマを描くのに対し、「安魂」で父子愛が奇跡を起こす地もまた中国有数の古都開封であり、そこを流れるのが母なる河(黄河)という点である。日本の山、中国の川、これはまさに「山川異域」ではないか。そして、この二本の名画の紡ぐ物語自体が、実は「風月同天」そのものなのである。


2.「再会の奈良」

映画開始と同時に、まず残留孤児とは何であったかを簡単に説明するアニメが流れる。筆者自身に戦争体験は無いが、俳句仲間の母親が開拓団として黒竜江省に渡り、苦難の末に帰国した話を直接聞いたことがある。その苦難の日々を彼女は俳句にした。

雪の曠野よ生まるる子の父みな兵隊

餓ゑて死にし子へくれなゐの黍の穂を

子を焼きし羊草代は借りしまま

筆舌に尽くせぬ壮絶な体験である。敗戦で帰国する際、やむなく現地に残して来た子供たちが中国残留孤児。その多くが中国人の養父母に育てられ、1972年の国交正常化を機に帰国を始めたが、言葉や慣習の違い等の壁は厚く、未解決の問題は今も絶える事はない。

物語は、養女からの手紙が途絶えた事を心配し、年老いた養母が奈良へ消息を訪ねに来るところから始まる。養母を祖母のように慕う娘が料理に用意した毛蟹の眼を見て、猿沢の池に放流に行く場面に養母の優しさが象徴される。

その後、退職した警察官が力を貸すかたちで行方不明の養女探しが続くのだが、秋色に染まる奈良の山間部に現れる人達に悪い人は一人もいない。ただ、ラストに至るまで養女の生死は明らかにされることがない。既に亡くなったとの話が入る一方で、どうやら存命らしいようでもある。これは筆者の私見であるが、ここは養女が生きていることを確認し、三人がそこへ足を運ぶシーンで終わらせて欲しかった。

ラストシーンに少々不満は残るものの、呉彦娘と國村隼の極めて自然で親しみの持てる演技、そして「日中間に生まれた真の家族愛を描きたい」という鵬飛監督の決意の言葉に温かな気持ちになれた作品だった。


3.「安魂」

序盤、高名な作家である父親が、溺愛する1人息子が連れて来た農村出身の恋人に冷たく当たる場面がある。「家族にもお前の将来のためにもならない」と父親は言うのだが、息子は「今まではあなたの言う通りにして来た。結婚だけは自分の自由にさせて欲しい」と訴える。母親は受け容れようとするのだが、父親はそれを許さない。その直後に息子は思いがけない病で急逝し、予想もしていなかった方向へと物語が展開を始める。

ここでも巍子、陳瑾というベテラン俳優陣が、とても味わい深い演技を見せてくれる。その中に混じって日本人留学生役を演じた北原里英が、わずか1カ月間の猛特訓で中国語を見事に使いこなしている姿にはとても嬉しくなった。

物語の詳細には触れないが、息子の死という悲劇の末に待ち構えるラストシーンには温かい涙が似合いそうである。ここで日向寺監督の言葉が先の鵬飛監督の言葉に近似する事に気付く。「この作品は人間の最小の共同体である家族を描き、一人の中国人と一人の日本人の繋がりを出発点とするものでした。人と人を分断させるコロナの時代を経て、あらためて人と人との交流に思いを寄せたいという願いを込めています」

日中国交正常化50周年の春節に、この二つの素晴らしい映画が登場した事は決して偶然ではない。1300年前の日中の固い絆を表象する言葉「山川異域 風月同天」がその中に織り込まれているのである。その事が、将来の日中関係がどうあるべきかを改めて投げかける。「家族のように、また親友のように力を合わせ、共にコロナを乗り越えよう。そして、二度と戦争をしてはならない」

 
Suggest To A Friend
  Print
中華人民共和国駐大阪総領事館 著作権所有
http://osaka.china-consulate.gov.cn/jpn/